Solitary Arts


カリフォルニア州ロサンジェルスを拠点に活躍する優れたアーティスト/デザイナー、 (ジェフ・マクフェトリッジ) が、サンフランシスコを拠点にスケートボードカルチャーを発信する Yong-Ki Chang (ヨン・キー・チャン)とともに2008年に立ち上げたスケートボードブランド。

そのコンセプトは、スケートボーディングと一緒に暮らすGeoffのライフスタイルに根ざしたもので、マスのスポーツとしてのスケートボーディングとは一線を画し、「バッグに収まるサイズで、常に持ち運び可能で、いつでもどこでも楽しめると同時に、極限のライディングにも耐え得る耐久性と性能を兼ね備えた」というものです。また、スケートボーディング草創期、大量生産されるものではなく、手造りだった時代を深く意識し、それはスケートボードパークもなく、ストリートがシーンのすべてで、人がデザインしたものではなく、自分たちで乗りこなしながら、新たなトリックを見つけ、そのために、自分たちでボードを改良したり手を加えてゆく、という精神に根ざしています。

Solitary Artsのラインアップは、スケートボード (すべてフルセット)、ホイール、ライザー(スケートボードの底面に付けるライト)、Tシャツ、ステッカー、ピンバッジからなり、前述のようにスケートボーディング草創期を深く意識しているため、Made in USAにこだわり、ライザー (中国製)以外は、すべて米国で制作されています。また、このため、Tシャツのオリジナルレーベルは、スケートボーディング草創期にポピュラーだった Hanesを模してつくるなど、遊び心にあふれています。

スケートボード、Tシャツ、ホイールなどすべてに見られるグラフィックは、もちろんGeoffのデザインによるもの。スケートボーディング・ライフをこよなく愛するGeoff ワールドが存分に表現されています。

以下に、Geoff自身が述べた、Solitary Artsの紹介をお贈りします。

About
自分がスケーティングについて考えることのすべては、実はスケーティングとは関係なかったりするんだ。- Geoff McFetridge


輪郭をスケッチすることは、ぼくのドローイング方法を変えた。大学時代、自分のドローイングの方法を進化させるために、イゴン・シーレなどを参考にした。それは、描こうとする対象物を描くのではなく、自分の眼前にある光景そのものを描くということだ。それはまた、鉛筆や消しゴムを手にせずに描くということでもある。究極は、陰影や奥行き、ぼかしなどを排除し、物質の線のみを明確に描く、ということでもある。

ぼくがこれを初めて試みた結果は、 糸を積み重ねた 単にがむしゃらさだけが見えるようなシロモノだった。しかし、それぞれのドローイングをよく見ると、その中に一部正しく思えるものがあった。それは、眉だったり手だったりだが、かつて試みたことのないようなものを見ることができた。自分にとって、これは新たな発見であり、そして不明瞭な輪郭を描いたり、陰影をつけたり、けばをつけたり、消したりというありきたりなスケッチ手法との決別だった。このことは、一般的なスケッチ手法が、どんなにつまらなく無意味なものかを分からせてくれた。むしろ、スケッチのやり方などまったく分からない人が描いたようにドローイングすることの方が、自分をいきいきとさせてくれた。

こうして誰からも教わらずに描くことが人生で最初の孤高の探求となった。また、描くことは、自分にとって即興性や可能性を発展させるためのアイデア作りの入り口でもある。なぜなら、自分が一般的な手法でスケッチする才能を持ち合わせない中で、自分しかできないことを深く理解し、発展させることに挑戦しなければならなかったためだ。やがてぼくは、この孤高の探求が、自分の洞察力を研ぎすまし、高めていることを悟ることになる。それは、「精神的な忍耐強さ」が「完璧さを求める技術」を打ち負かした瞬間でもあった。最初、ぼくはスキーをしたときも、ドローイングと同じことを感じた。そして、やがてスケートボーディングの中にも同じことを感じることになる…….。

ぼくは、ストリート・スケーティングにハマった。ストリートがぼくにとってすべてであり、自分の世界だった。そのころのぼくのアプローチは、「別に、スケートボードランプやバンクでやってもいいけど、誘うんだったらストリートにしてくれ。ノーズピッカーズ (スケートボードのトリックのひとつ) をやるのに忙しいからね。」というようなものだった。ぼくと友人たちは、新しいトリックを発明し、それを繰り返し、そしてまた新しいトリックを発明する、という連続で、それはスケートボードの雑誌を見たり他のスケーターを参考にしたりということもなく、自分たちだけで年中そうやって過ごすことができた。

「発明」、これこそが、ぼくのスケートボーディングのルーツだ。自分をとり巻く状況は変わったけれど、スケートボーディングから離れたことはない。車のトランクには、いつもスケボー用の靴とRectorのプロテクターそ忍ばせて。

とはいえ残念ながら、ちょっと興味を失った時期もあった。南カリフォルニアへ移ったとき、サーフィンと出会ったからだ。それまで、サーフィンに興味をもったことなど一度もなかったし、海に入ることにも興味はなく、それに、サーフィンとスケートボーディングの共通点を見つけるのは、とても困難だった。スケートボーディングは、駐車場での衝撃のシーンであり、かたやサーフィンといえば、派手で優雅でスポーティ、ソックスやシャツを着ないのも気に入らなかった。自分のサーフィンに対する考え方は、それを紹介してくれた友人にねじ曲げられたと言ってもいいだろう。彼は、ぼくに偏見と曲解を与え、それはあとで考えるとウソっぱちだった。彼のせいでぼくは、高名なシェイパーによってシェープされたシングルフィンのロングボードこそがサーフィンのすべて、であるかのように考えていた。今考えると、それは紅茶を飲みながら歴史を語るような古くさいものだった。たとえば、ぼくが最初に見たサーフムーヴィーは、とてもレトロな「Morning of the Earth」(1972年制作のサーフィン映画) で、こんなものを喜んで見ていたぼくは、現代の最新のサーフシーンとは縁遠い状況だった。ぼくたちが欲しいボードはといえば、オーストラリア人が古いサーフィン映画を参考にコピーして作ったようなシロモノだった。

この、サーフィンとの経験は、ぼくにスケートボーディングの世界を再発見させてくれた。「サーフィンで、グライドを楽しむんだったら、スケボーでロールしたほうがいいじゃん」、「え、ZboysだったかBoyzだったか忘れたゼ。とにかくヤツらは波はいつでもそこにあるって言ってたけど、そんなのウソっぱちじゃないか。ストリートのカーブ(縁石)は、ホントにいつでもそこにあるゼ。」と、考えるようになった。ぼくにとってサーフィンは、「スポーツの楽しみはパフォーマンスの質だけでは語れない」という言葉を思い起こさせた。それは、「Head Dips (サーフィンのワザのひとつ)をやりたかったけどいいヤ。別にそれをやらなかったからといって、一日気分悪くなるわけでもないし。」というようなものだ。

Solitary Artsは、スケートボードとは何か?スケートボーディングとは何か?と、その意味をとことんまでつきつめることによるパラダイムシフト(認識の革命的変化) のきっかけとなるものだ。スケートボーディングとはトリックの間に存在する瞬間であり、スケートする場所によってボードも変わり、時にはトリックなしでもいいし、激しくライドする必要もないかもしれない。オーリー(スケートボードのトリックのひとつ)をせず、ソフトホイールで静かにcarvingして滑ることもできる。
< 要は、心を震わせることだ。>


ぼくらのボードは金もうけのために作られるわけじゃない。これらのボードは、真のスケートボーディング・ライフのために作られている。ぼくたちのボードは、食前酒であり、食後酒でもあり、口直しのシャーベットでもある。 ぼくたちのボードは、バッグに入れて持ち運びでき、カフェ・ド・フロール (パリ、サンジェルマン・デュプレの有名カフェ) でお茶するときにテープルの下にあってもいいし、Bronson Ditch (ロサンジェルスにあるコンクリートの水路だったところを利用したスケートスポット)で、極限まで乗りつぶすこともできる。

ぼくは、娘のために何かを作ってあげるときに、「即興的建築物」と冗談めかして言うんだけど、 たとえば、娘に裏庭のサクラの木にツリーハウスを作ってあげるとしよう。そして、ぼくは木に釘をいっさい打ち込みたくないとする。複雑な木の形状をすべて計測して、計画立てて作るとしたら、途方もなく長い時間がかかるだろう。それよりも、 計画なしにその場で板や材料を切って作ってしまう。木が自然に成長するように、自然に作る。まるで、ホームレスが建てた小屋みたいに見えるかもしれない。でも、それはきっと強くて、カッコいいものになるだろう。

ぼくたちは、ぼくたちにとってスケーティングが意味するもの、ぼくたちに与えてくれることを深く意識しなくちゃいけない。それはバイシクリング、スキー、サーフィン、カヌー、登山、絵を描くこと、陶芸、デザイン、アニメを作ることなどすべてに言えることだ。「他者から言われたこと」と、「自分が愛するものごとの自分にとっての意味を自分で分かっていること」のふたつを、ぼくらはちゃんと区別しなくちゃいけない。Solitary Arts は、カルチャーの清教徒版 (厳格主義者)であり、その商品は、人のぬくもりが感じられる市場で売られるようなものであり、マスマーケットの好みとはまったく異なるものだ。

君が最悪の絵を描いたとしても、楽しんでほしい。たとえオーリーなしの日だったとしても、Solitary Artsは、きっと君に良い一日をもたらしてくれるだろう。

by Geoff McFetridge / ジェフ・マクフェトリッジ

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